小語種:一級閱讀15

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人生はたえざる選択の連続である――これはおそらく文句のつけようがない定義だ?!肝?、思う。
    故に我あり」を?qū)g生活に置き換えると、「我、選択する。故に我あり」ということだろう。(中略)
    現(xiàn)代がことさらあらたまって選択の時代と騒がれるのは、ニュー?メディアなどの導(dǎo)入により生活の
    表面的選択肢が増えたからではない。経済神話と神妙な精神主義に無抵抗であったこれまでの「會
    社人間」たちの世代が、だらしなくも、自ら選択を下すことを忘れていたからだ。狼は選択するが、ヒツ
    ジの群れは、選択しない。いたん群れの一員として馴致されると、これはこれで気楽の境遇といって
    いい。羊飼いに管理され、番犬に導(dǎo)かれるままに動いていれば、生命の危険はない。飢えることもな
    い。でも、ヒツジにだって多少の自尊心はある。本當(dāng)は完璧に管理され、判斷を放棄し、選択の勇気
    も持っていないのに、①そうではない、と思いたい。となると、自らを暗示にかけるか、いわば「疑似選
    択」を行うことによって、かろうじての自己の存在証明を求める以外ない。暗示は、組織と自らを一體
    化しようという心の動きである。疑似選択はいくらでもできる。「右に曲がれ」という番犬の命令に逆ら
    うふりをしてちょっと左へ走ってみるのがそれだ。他の仲間より少し早く(あるいは遅く)走る自由がそ
    れだ。あてがわれた餌のうち、これを食べ、あれは食べない、という選択もそれだ。しかし、実際には
    こんな自由や選択にはたいした意味がない。あくまで主人が許容した範(fàn)囲內(nèi)での自由であり、選択で
    あるのだから。
    人生は選択である、といったが、本當(dāng)をいうと実生活において私たちに多く場合、この種の選択を
    さもおおげさにしているに過ぎない。②選択ごっこ、といっていい。
    たとえば、どの學(xué)校にへるか、どこへ就職するか――.ごっこの中でもこの辺は案外深刻な選択
    だが、もともと進(jìn)學(xué)、就職というだれが決めたか分からない人生コースをそのまま受け入れ、そのコー
    ス內(nèi)での選択であるから、どうころんでもたいした違いはない(どうころんでも自己を見失わぬ、と言う
    だけ強(qiáng)固な自己を持っていれば、の話であるが)。また、休日に山へ行くか海へ行くか、あの馬に賭
    けるか、トヨタを買うかニッサンを買うか――この類の大小無數(shù)の選択に直面しながら私たちは日々
    を生きているわけだが、結(jié)局のところはこれらはみんな(③)。選択を楽しむ、という程度の意味しかあ
    るまい。今、ふりかえって、「選択を誤ったとき」の切実な思い出がひとつも浮かんでこないのは、私自
    身も「人間の條件」を忘れた④ヒツジの群れの一員として、時にぶつくさ文句をいいながらも結(jié)局は太
    平楽にこの世を生きてきたからにほかなるまい。
    (⑤)、人生は選択の連続である、という當(dāng)初の定義もあやしくなってきた。むしろ、選択ごっこの連
    続ごあるといい直すべきか。⑥やはりそうは思わない。たとえ、それが日常生活の中の小さな選択で
    も、それが何らかの形で自らめざす人生の実現(xiàn)にかかわってくる類の選択であれば、そのひとつが
    真剣勝負(fù)と思いたい。少なくとも自己との対話においては、それだけ気を張って毎日を生きたい。個
    々の選択はゆるがせにできぬが、その當(dāng)否はすぐ朗かにはならない、日々の小さな選択の集積の収
    支決算がいつか徐々に表面化しはじめ、棺に入る直前になって人は「オレは然るべく生きた」あるい
    は「どうやらオレは選択を誤った」と初めて口にできるのではあるまいか、だから、まあ、⑦とりあえず
    は小さなことでくよくよするな、ということにもなるのだが――.
    問1①「そうではない、と思いたい」とあるが、どう思いたいのか。
    1自分で判斷できると思いたい
    2選択肢が増えたと思いたい
    3生命の危険がないと思いたい
    4飢えることがないと思い
    問2「選択ごっこ、といっていい」とあるが、それはどうしてか。
    1実生活ではどう選択するかの判斷を放棄しているから
    2実生活ではどう選択してもたいした違いはないから
    3実生活ではどう選択するかを楽しんでいるから
    4実生活ではどう選択してもけっして誤らないから
    問3(③)にはどんな文を入れるのが適當(dāng)か。
    1誰かが選択してくれるものだ
    2選択しなくてもいいものだ
    3非常に重要な選択なのだ
    4どうでもいい選択なのだ
    問4④「ヒツジの群れの一員」とあるが、これはどういうことか。
    1多少の自尊心はあるということ
    2今までは選択をしてこなかったということ
    3生命の危険もなく、飢えることもないこと
    4管理され、判斷を放棄しているということ
    問5(⑤)に入れる言葉を次の中から選びなさい。
    1となると2となっても3とみると4といえば
    問6⑥「やはりそうは思わない」とあるが、どう思わないのか。
    1人生は選択の連続であるとは思わない。
    2人生の選択を誤ったとは思わない。
    3人生は選択ごっこの連続であるとは思わない。
    4人生は無數(shù)の選択に直面することだとは思わない。
    問7⑦「とりあえずは小さなことでくよくよするな」とあるが、筆者はなぜこのように思うのか。
    1選択の結(jié)果は死ぬ直面までわからないのだから。
    2選択を間違えても、結(jié)果は同じだから。
    3選択はあくまで許容された範(fàn)囲內(nèi)での選択なのだから。
    4選択は本來遊びのようなものだから。
    問8筆者は日々の選択についてどのように考えているか。
    1重要ではないし、間違えてもたいした問題にはならない遊びのようなものである。
    2決定的ではないかもしれないが、それらが集まって人生を形づくるのだから、真剣に行うべきだ。
    3選択の一つ一つが人生を左右する非常に重要なものだから、人と相談して慎重に行うべきだ。
    4ある範(fàn)囲內(nèi)での選択なのだから、自分で選択しているように思っても、実はそれは誰かに管理され ているものだ。
    問1―1  問2―2  問3―4  問4―4  問5―1  問6―3  問7―1  問8―2