日語閱讀:黒田清子

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昨日の朝、東京はぐんと冷え込んだ。歩いていると、指先がかじかみそうだった。その寒気に包まれた都心を靜かに行く車の中で、白手袋の手が、小さく何度も振られた。
    昨天早晨,東京驟然變冷。行走在街頭,仿佛指尖都要凍僵了。在寒氣籠罩的市中心靜靜穿行的車輛中,那雙帶著白手套的手,微微而多次地?fù)]動著。
    天皇家の長女、紀(jì)宮清子(さやこ)さまが、黒田慶樹(よしき)さんと結(jié)婚し「黒田清子さん」になった。式後の記者會見では、ふたりとも、はればれとしてうれしそうだった。
    はればれ: 1、空がすっかり晴れ渡っているさま?!辅D(と)した秋の空」
    2、もわだかまりなどがなく、気持ちがさっぱりとしたさま?!附褚护臍莘证D(と)しない」「―(と)した顔」
    天皇家的長女,紀(jì)宮清子公主,與黑田慶樹先生結(jié)婚而從此更名為「黑田清子」。在隨后召開的記者招待會上,二人都顯得十分輕松愉快。
    「うちのドンマインさん」。天皇陛下は、紀(jì)宮さまのことを話す時にそう呼ぶことがあるという?;屎螭丹蓼仍?、71歳の誕生日の際に、宮內(nèi)記者會からの質(zhì)問に文書で答えた。
    ドンマイン:[感]《Don't mind.から?!笟荬摔工毪省埂感呐浃工毪省工我狻肥·筏茪萋浃沥筏皮い肴摔騽瞍蓼箳欷甭暋%攻荸`ツの応援などに用いる。
    天皇陛下在提起紀(jì)宮公主時,有時會稱她為“我們家不介意的公主”?;屎笤谏蟼€月71歲生日之際,用文書形式來回答宮內(nèi)記者的提問。
    「清子は、私が何か失敗したり、思いがけないことが起こってがっかりしている時に、まずそばに來て「ドンマーイン(気にかけないでの意)」とのどかに言ってくれる子どもでした」。それは今も変わらないという。一般家庭とは違ったしきたりや制約のある暮らしの中で、心の支えになっていた様子がうかがえる。
    “清子是一個在我遭遇失敗或者意外事情時,會首先來到我身旁,平心靜氣地對我說'別介意'的孩子。”這一點她至今未曾改變。從這個與一般家庭不同的習(xí)慣和制約的生活中,可以窺見清子已成為這個家庭的心靈支柱。
    「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峽を渡つて行つた」。この安西冬衛(wèi)の一行詩を、學(xué)習(xí)院女子高等科の卒業(yè)アルバムに記していたという。詩情あふれ、そして潔いこの一句を、少女のころから胸に抱いていたのだろうか。
    學(xué)習(xí)院:明治一〇年(一八七七)皇族?華族の子弟の教育のために東京に創(chuàng)立された學(xué)校。第二次大戦前は、宮內(nèi)省の管轄。昭和二二年(一九四七)私立學(xué)校になり、幼稚園?小學(xué)校から大學(xué)までを擁している。江戸末期に、公卿(くげ)の子弟の教育機(jī)関として京都に設(shè)置されたのが始まり。
    潔い: 1.事物?風(fēng)景などが清らかである。汚れがない。
    2.思い切りがよい。未練がましくない。また、さっぱりとしていて小気味がよい?!辅D?く身を引く」「―?く戦う」
    3.道に反するところがない。潔白である?!辅D?い態(tài)度を貫く」
    “蝶兒飛渡韃靼海”安西東衛(wèi)的這一行小詩,被寫在了學(xué)習(xí)院女子高等科的畢業(yè)相冊上。在這飽含詩情且毫不懦怯的詩句里,蘊(yùn)含著清子從少女時期起就擁有的遠(yuǎn)大抱負(fù)吧。
    「眼覚めに夏鶯/美しき五月の朝なり/海の見える食堂でアトホーム/カルセオラリアといふ黃な花の鉢植/よき紀(jì)年日なり……冬」。冬衛(wèi)が「38回目」の結(jié)婚記念日に、仕事先から妻の美佐保さんに送ったはがきだ(安西美佐保「花がたみ」沖積舎)。黒田さんたちが末永くお幸せであるようにと願う。そして、世の新婚の人たちにも幸多かれと祈りたい。
    “蘇醒時分 夏鶯紛飛/五月的清晨 甜美動人/眺海的食堂 溫馨舒適/在這黃色的蒲包花花盆里/記載著你我甜美的紀(jì)念日……冬”。這是冬衛(wèi)在“第38次”的結(jié)婚紀(jì)念日里,從工作地發(fā)給妻子美佐保的明信片。(安西美佐?!富ɑ@」沖積社)。讓我們祝福黑田夫婦白頭偕老。也祝愿所有的新婚夫婦幸福美滿。