讀新聞學(xué)日語(中日對照)(二)

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目の前に、さえぎるものは何もない。どこまでも太平洋が広がる。あの水平線の手前に巨大な滑走路ができるとしたら、この青い海は壊れてしまうだろう。
    眼前,沒有任何的遮攔。到處是一望無際寬廣的太平洋。如果在地平線的這邊修建巨大的飛機(jī)跑道,那這片碧藍(lán)的汪洋大海就將慘遭破壞吧。
    沖縄県名護(hù)市の浜に立ち、「海上ヘリポート」の建設(shè)が想定されていた海域を見たのは、5年前だった。米軍の普天間飛行場の移転先の候補(bǔ)という海原の、きらめきと穏やかさが胸に殘った。
    5年前,筆者曾站在這沖繩縣名護(hù)市的海濱,了望這片原本計(jì)劃要建設(shè)成“海上直升飛機(jī)場”的海域。心中依舊記得,作為美軍普天間機(jī)場候選遷移地的這個(gè)海域,閃耀而平靜。
    當(dāng)時(shí)の海上案から変わり、浜と海とにまたがる「沿岸案」で、日米の政府が合意した。まるまる海に造る當(dāng)初案と比べれば、壊される海域は小さいようだが、集落には近くなる。何より、あれだけ基地がひしめいている沖縄に大きな施設(shè)を新しく造ることに、時(shí)代を逆行するような違和感がある。
    まるまる「丸丸」(副)
    1. よく太っているさま?!辅D(と)した赤ん坊」
    2. ある數(shù)量や事柄の全體に及ぶさま。完全に?!敢淮D殘っている」「―二日かかる」
    3. 全く。すっかり?!辅D損をする」
    しゅうらく「集落」〔「落」は、村の意〕家の集合した所?!勃M義では村里を指し、広義では都市をも含む。前者の例、「―遺跡[5]」〕
    ひしめ?く[3]:(自五)吵吵嚷嚷人がおおぜい集まって、押し合い、騒ぎ立てる。〔文脈により、同類のものがたくさん集まってきて激しい競合いをする意にも用いられる〕「見物人が―」
    日美政府最終達(dá)成了一致意見,將當(dāng)時(shí)海上機(jī)場的這個(gè)方案,轉(zhuǎn)變成跨越海濱與海的「沿岸方案」。與在整個(gè)海域修建機(jī)場的最初方案相比較,遭到破壞的海域看似小了,但(新機(jī)場)卻更靠近居民的村落了。但不管怎么說,在已經(jīng)擁有如此眾多基地的沖繩境內(nèi)再新修建如此巨大的設(shè)施,總讓人覺得有違背時(shí)代潮流的不協(xié)調(diào)感。
    「おねすとじょんだの/みさいるだのが/そこに寄って/宙に口を向けているのだ/極東に不安のつづいている限りを/そうしているのだ/とその飼い主は云うのだが」。沖縄出身の詩人?山之口貘が、米國の施政権下にあったころの沖縄をうたった「島」の一節(jié)だ。
    “歐雷斯約翰的/導(dǎo)彈/飛近那/宇宙之門/只要遠(yuǎn)東依舊不安定/導(dǎo)彈就將那樣穿梭/所有者如是說”。這是沖繩籍的詩人。山之口貘吟詠美國政權(quán)統(tǒng)治下的沖繩的詩作《島》中的一節(jié)。
    「島はそれでどこもかしこも/金網(wǎng)の塀で區(qū)切られているのだ」と続く?!溉摔媳扦扭椁蚪鹁W(wǎng)にこすり(略)金網(wǎng)に沿うて行っては/金網(wǎng)に沿って帰るのだ」(「山之口貘全集」思潮社)。戦後60年になっても、島の金網(wǎng)は延々と続いている。
    書中繼續(xù)寫到“島嶼也因此全然/被鐵絲網(wǎng)隔開?!薄叭藗兊谋羌獠吝^鐵絲網(wǎng)(略)順著鐵絲網(wǎng)來回行走/順著鐵絲網(wǎng)歸來” (「山之口貘全集」思潮社)。即使到了戰(zhàn)后60年的今天,島上的鐵絲網(wǎng)依然無所不在地延伸著。
    名護(hù)の浜では、建設(shè)に反対する人たちが座り込みを続けてきた。93歳になるおばあさんが言ったという?!富丐谓ㄔO(shè)が始まったら、海に座るさー」。米政府とは合意したが、日本の政府は、肝心の住民や自治體とは合意できるのだろうか。
    在名護(hù)市的海濱上,人們依然靜坐以反對基地建設(shè)的進(jìn)行。一名93歲的老奶奶說道“一旦在這里進(jìn)行基地建設(shè),我們就到海里去靜坐?!彪m說已經(jīng)何美國政府達(dá)成一致意見,但日本政府,又是否能和自己這些重要的居民及自治團(tuán)體達(dá)成一致意見呢?