人と美容(中日對照)

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「原文」
    書店をぶらつき、何となく買ってしまったのが、「日本女性人名辭典」という分厚い辭書だった。古代から現代まで七千人の女性の名前、そのプロフィールがいかにも事務的に記されているだけの一冊。なぜそんなものを買ったのか、その時は気づかなかったが、読むともなしにペラペラとページをめくっていて、ふと思ったのは、これも私たち女にとっては、ひとつ美容なのだということ。
    知っていた名前はほんの一割程度。山ほどの知らない女性たちはしかし、名前とその経歴だけで、私を十二分に刺激した。例えば「黒田多喜子」という人は「松山藩主である夫の沒後、再婚をすすめられるが生家に帰り、髪を建ち切り再婚を拒んだ」とある。また同じ黒田姓でも黒田雅子という人は「エチオピア皇子が日本人女性を妃に望んでいると報道された時、三百五十人以上の女性とともに立候補、第一候補に選ばれ婚約.「現代のシンデレラ」と話題になるが、イタリアのエチオピア干渉によって進展をみず、辭退」などとある。ふと開いたページに、髪を斷って夫への貞操を守った女性や、現実シンデレラを辭退する女性がいったのである。
    この二人の女性が生きた時代に、「美容」などというものは、もちろんないとは言わないが、今のような手を取り、足を取り、何もかもを教え込むようなものではまったくなかったはずである。が、現代の女性よりも二人はずっと美しかったかもしれない。精神の美しさ、グローバルな美しさ、それはこの日本でも、百年も前の女の人のほうが、上だったのかもしれないと思ったのである。そして、ひょっとしたら、具體的な美容法というものが、世の中にあぶれているために、今、日本の女性たちはかえって、自らを高いレベルで磨き込もうという努力を怠ってしまうのではないかとも思ったのである。
    ここで言いたいのは、女性が美しくなろうとする時、一番重いヒントをくれるのは、最終的にヒトであるということ。過去を素晴らしく生きた女性や、今をステキに生きている女性、そういう人をもっともっとたくさん知り、たくさん見ることが、実は一番女性をキレイにするのではないかと思ったのだ。
    美容において一番よくないのは、家の中に閉じこもって、美容の記事ばかり読んでいることだと私は思う。世の中のキレイな人をたくさん見たり、世の中の人に自分を見てもらうこと、これが大事なのだと言うことだが、それもひっくるめて、女をキレイにするのは女。
    作者 斎藤薫
    「譯文」 人與美容
    我在書店里隨便走走,不知不覺地買了一本「日本女性人名辭典」。這本厚厚的辭典記載了從古至今近七千人的姓名,其中詳細地記載了關于她們毎個人的簡歷。為什么會買這本書,當時我自己也不太清楚。回家之后隨意地翻了一下,突然間我想到,這本書對于我們女人來講,是一本關于美容的書。
    辭典里記載的女性,我只知道10%左右,剩下的女性根本就沒有聽說過。但是,書中記載的關于她們的名字及毎個人的經歷,卻給我了十二分的刺激。例如有一個叫「黑田多喜子」的女性,在辭典中是這樣說明的,「松山藩主的妻子。在松山藩主死后,她為了拒絶再婚,回到了自己的娘家并且把自己的頭發(fā)剪了。」同時,還有一個姓黑田的女性,叫黑田雅子,「她聽到關于埃塞俄比亞的皇太子想找一個日本女性為妻子的報道后,于是和350名女性一起參加競選,結果,非常幸運地被選上。被稱為「現代的灰姑娘」,并且和皇太子訂婚了。但是,由于意大利干渉埃塞俄比亞的內政,致使婚禮沒有進展。于是,她毅然辭退了婚禮?!闺S意地翻了一下就出現了這兩種人,一個是為了保持自己對丈夫的貞操而斷發(fā),而另一個卻是現實中的灰姑娘。
    在這兩個女性生活的時代,也許沒有「美容」,但時,我也不敢說絕對沒有??墒?,像今天這樣手把手地教你如何化妝,我想一定是沒有的,但是我認為,這兩個女性要比現代女性還要美麗,因為在一百多年前的日本像這樣具有道德美及整體美的人就已經存在了。但是在各種各樣的化妝品及化妝技法充滿了市場的現在世界中,反而使現代的日本女性忽視了提高自我化妝的技術。
    但是,在這里我想說的是,女性要想變得更加美麗的話,有一個重要的秘訣,這個秘訣就是起決于人。我認為要想把自己變得更加美麗的人,不僅要了解現代女性的美,同時應該還要了解古代女性的美。事實上,我覺得這是讓女性變得更加美麗的辦法。
    關于美容,我認為整天一個人悶在家中,看一些如何化妝的書是一個最不好的辦法。應該走出家中,不僅要看一看世界中的麗人,同時,也把自己展示到這個世界中。這是非常重要的??偠灾?,是女人把女人變得更加美麗。