日語(yǔ)閱讀:阿Q正傳(六)

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しかし彼は、もう出て行くまいと決心して、そのまま自分のネグラへ引き返した。
    地蔵堂の內(nèi)部はさらに暗かった。彼は、門をかって、手探りで自分の部屋へはいった。
    橫になって、しばらくすると、ようやく気が落ち著いて、自分のことも考えられるようになった。
    白兜白鎧の人は、明らかに來(lái)たのである。しかも、彼を誘いにはやって來(lái)なかった。
    分取り品をたくさん運(yùn)び出したが、そのなかには彼の取り分はない‥‥‥思えば憎むべきは、
    にせ毛唐が自分に謀叛を禁じたことである。
    もしそうでなければ、こんな場(chǎng)合に、分け前がないことが、どうしてありえよう。
    思えば思うほどに癇にさわって、しまいに煮えくりかえるように腹が立った。
    彼は、いまいましそうに首をふって、つぶやいた?!袱い椁酥\叛させないで、自分だけ謀叛する気か。
    こん畜生のにせ毛唐め‥‥‥よし、謀叛してみろ。謀叛は首をちょん斬られるんだぞ??证欷胜椁仍Vえてやるからな。
    てめえなんか、城內(nèi)へ引っ張って行かれて、首をチョンだ‥‥‥親子もろともだ‥‥‥バサリ、バサリ」
    第九章 大団円
    趙家の掠奪事件は、多くの未荘人を痛快がらせ、かつ恐怖せしめた。阿Qも痛快がり、かつ恐怖した。
    だが四日目には、彼は突然、夜中に捕らえられて県城へ連れていかれた。その晩はちょうど闇夜であった。
    一隊(duì)の兵士と、一隊(duì)の自警団と、一隊(duì)の警察と、五人の探偵とは、ひそかに未荘へ繰り込み、
    夜陰に乗じて地蔵堂を包囲し、正面入り口へ機(jī)関銃を據(jù)えつけた。ところが阿Qは、飛び出して來(lái)なかった。
    いくら待っても、音沙汰がない。隊(duì)長(zhǎng)はじれた。ついに二千貫の賞金を懸けたので、
    はじめて二人の自警団員が危険を冒して壁を乗り越え、內(nèi)外呼応して一挙に踏み込み、阿Qを引っ張り出した。
    地蔵堂からつまみ出されて機(jī)関銃のそばまで來(lái)たとき、彼はようやく目が醒めかけた。
    城內(nèi)へはいるころは、もう晝近かった。自分が、とある古ぼけた役所の門をくぐり、五、六回まがり、
    小さな部屋へ押し込まれたことを阿Qは知った。彼が?うしろから押されてよろめいた途端に、
    丸太で組まれた網(wǎng)戸が彼の足元で閉じた。奧の三方は全部壁であった。よく見(jiàn)ると、部屋の隅にふたりの先客がいた。
    阿Qは、不安ではあったが、苦しくはなかった。彼の地蔵堂の寢室だって、
    別にこの部屋より居心地がいいわけではなかったから。ふたりの先客も田舎者らしく、
    ぼつぼつと彼に口をきくようになった。ひとりは、祖父の代に滯納した小作料のことで挙人旦那から訴えられたといった。
    もうひとりは、何のことだかわからないと言った。先方でも阿Qに尋ねるので、阿Qははっきり答えた。
    「謀叛しようと思ったんだ」
    午後、彼はまた網(wǎng)戸の外へ引っ張り出された。広間へ行ってみると、頭をテカテカに剃った老人が正面に座っていた。
    坊さんだろうか、と阿Qは思った。だが、下手の方を見(jiàn)ると、兵隊(duì)がいるし、機(jī)の橫にも、
    長(zhǎng)衣を著た男が十?dāng)?shù)人立っている。老人と同じように頭をテカテカに剃ったのもいるし、
    一尺近くもある長(zhǎng)い髪を肩へ垂らした、にせ毛唐そっくりのもいる。一様に橫柄な顔つきで、
    おこっているようにじろっと彼の方を見(jiàn)た。これはきっと曰くのある人にちがいない、と彼は思った。
    その途端に、膝(ひざ)関節(jié)がひとりでに慄え出して、思わず彼はひざまずいてしまった。
    「立て。座るんじゃない」長(zhǎng)衣を著ている男たちがどなった。
    阿Qは、その意味がわかるような気がしたが、どうにも立っていられなくて、からだがひとりでにまがって、
    そのはずみで、ついにはいつくばってしまった。
    「奴隷根性!‥‥‥」また長(zhǎng)衣の男が、吐き出すようにそう言ったが、もう立てとは言わなかった。
    「まっすぐ白狀するんだぞ。痛い目を見(jiàn)ずに済むからな。何もかも存じておるのだ。
    白狀すれば許してもらえるぞ」坊主頭の老人が、じっと阿Qの顔に目をそそいで、落ち著いた、
    はっきりした口調(diào)でそう言った。
    「白狀しろ」と、長(zhǎng)衣の男も大きな聲を立てた。
    「わしぁ‥‥‥ほんとは自分の方から‥‥‥」無(wú)我夢(mèng)中でしばらく考えていてから、
    阿Qはやっとぽつりぽつりしゃべり出した。
    「では、なぜやらなかったのだ」老人は、おだやかに尋ねた。
    「にせ毛唐が、いけないって言いました」
    「ばか言え。いまになって、もう遅い。仲間はどこに隠れておるか」
    「何‥‥‥」
    「あの晩、趙家を襲った一味だ」
    「奴ら、わしを呼びに來(lái)なかった。勝手に運(yùn)んでしまいやがった」思い出しただけでも、阿Qは腹が立った。
    「どこへ運(yùn)んだのだ。言えば釈放してやるぞ」老人はますますおだやかである。
    「知らない‥‥‥呼びに來(lái)ないのだから‥‥‥」
    老人は目配せした。阿Qはまた網(wǎng)戸の檻のなかへ連れ戻された。
    彼が再び網(wǎng)戸から引き出されたのは、次の日の午前であった。
    広間の様子は、以前と同じであった。上手には、やはり光頭の老人が座っていた。阿Qもやはりひざまずいた。
    老人はおだやかに尋ねた。「何か言いたいことはないか」
    阿Qは考えてみたが、何もなかった。そこで「ない」と答えた。
    すると、長(zhǎng)衣を著たひとりの男が、一枚の紙をもって、それに筆一本添えて、阿Qの前に差し出して、
    筆を彼の手に握らせようとした。このときの阿Qの驚きようは、まるで「魂が抜ける」ほどであった。
    何しろ、彼の手が筆と関係を持つのは、このときがはじめてであった。
    どう握っていいものか、ただおろおろしていると、その男は、一ヶ所を指差して署名しろと言った。
    「わ‥‥‥わしは‥‥‥字を知らない」阿Qは、筆をわしづかみにして、おそるおそる、はずかしそうに言った。
    「じゃ、何でもいい、マルを書け」
    阿Qは、マルを書こうと思った。筆を握った手は、慄えるばかりである。すると、その男は、紙を下へ展べてくれた。
    阿Qは、かがみ込んで、渾身の力をふりしぼって、マルを書いた。
    人に笑われまいと思って、まんまるく書くつもりだったが、この憎らしい筆は、重いばかりか、言うことをきかない。
    やっと慄えながらも、どうにかつながることはつながったが、その途端に筆が跳ねて、カボチャの種のような恰好になってしまった。
    うまくマルが書けなかったことを恥ずかしがっている阿Qにおかまいなしに、その男は、さっさと紙や筆を持って行ってしまった。
    おおぜいのものが、もう一度彼を檻のなかへ送り込んだ。
    再度檻の中へ送り込まれても、彼は大して苦にはならなかった。
    人間として生まれた以上、たまには檻へぶち込まれることもあるだろうし、たまには紙にマルも書かせられよう。
    ただ、そのマルが歪(ゆが)んだことだけは、彼の「行狀」に汚點(diǎn)を印すものである、と彼は考えた。
    が、まもなく、その考えも釈然とした。バカヤローであってこそ、まんまるいマルが書けるんだ、と彼は考えた。
    そして睡ってしまった。
    ところが、この晩、挙人旦那は睡ることができなかった。彼は、隊(duì)長(zhǎng)に向かっ腹を立てたのである。
    挙人旦那は、まず贓品の詮議が大事だと主張した。隊(duì)長(zhǎng)は、こらしめが大事だと主張した。
    ちかごろ隊(duì)長(zhǎng)は、挙人旦那を軽く見(jiàn)る傾きがある。機(jī)を叩いたり椅子を蹴ったりして、こう言うのだ。
    「一人罰すれば百人のいましめです。いいですか、私が革命黨になって二十日そこそこの間に、
    もう強(qiáng)盜事件が十?dāng)?shù)件、全部迷宮入りですよ。まるで顔が立たんじゃないですか。
    せっかくつかまえたと思えば、のんきな話をされたんじゃ‥‥‥いけませんよ、これは私の権限ですからね」挙人旦那はぐっと詰まった。
    しかし、自説は枉(ま)げないで、もし贓品の詮議をやらぬなら、自分は民政係の職を即刻辭さなければならぬといきまいた。
    ところが隊(duì)長(zhǎng)は「ご隨意に」とつっぱねたので、その夜、挙人旦那は一睡もできなかったのである。
    しかし、さいわい次の日も辭職しなかった。
    阿Qが三回目に檻から引き出されたのは、挙人旦那が一睡もできなかった夜のあくる日の午前であった。
    広間へ行くと、上手にはいつもの光頭の老人が座っていた。阿Qもいつもの通りひざまずいた。
    老人はおだやかに尋ねた?!负韦预い郡い长趣悉胜い?BR>    阿Qは考えてみたが、何もなかった。そこで「ない」と答えた。
    おおぜいの長(zhǎng)衣を著た男と、短衣を著た男とが、たちまち彼に、何か字の書いてある金巾の白い袖無(wú)しを著せかけた。
    阿Qは、気が腐った。まるで喪服そっくりだ。喪服なんか、えんぎでもない。
    だが、途端に彼の両腕は後ろ手に縛られ、途端に役所の門から突き出されてしまった。
    阿Qは、一臺(tái)の幌(ほろ)なしの車に擔(dān)ぎあげられた。短衣の男が數(shù)人、同じ場(chǎng)所へ乗り込んだ。
    車はすぐ動(dòng)き出した。前方には、鉄砲を擔(dān)った兵隊(duì)と自警団がいた。
    両側(cè)には、ぽかんと口を開(kāi)けている見(jiàn)物人の群れがいた。後方はどうか。阿Qは振り向いて見(jiàn)なかった。
    だが彼は、急にハッと気がついた。これは首をちょん斬られに行くのではないか。
    しまった、と思う途端に目がくらんで、耳の中でガーンと音がして、気が遠(yuǎn)くなりかけた。
    だが、全然気が遠(yuǎn)くなったのではない。いたたまれぬ焦燥に駆られるかと思うと、またクソ落ち著きに落ち著いたりした。
    彼の意識(shí)の底では、人間と生まれたからには時(shí)には首をちょん斬られることもないわけではあるまい、という感じがぼんやりしていた。
    それでも道だけは見(jiàn)分けられた。どうも変である。なぜ刑場(chǎng)のほうへ行かないのだろう。
    それが*のための引き廻しであることを彼は知らなかったのである。
    だが、たとい知ったとしても、同じことだろう。
    人間と生まれたからには、時(shí)には引き廻しにあうこともないわけでもない、と彼は考えたにちがいないから。
    彼は気がついた。これは遠(yuǎn)回りして刑場(chǎng)へ行く道だ。てっきり「バサリ」で首をちょん斬られる。
    悲しそうな目で彼は左右を見(jiàn)まわした。ぞろぞろ蟻のようにたかっている見(jiàn)物人。
    ふと、思いがけなく、彼は路傍の群集のなかに、呉媽の姿を発見(jiàn)した。ほんとに久しぶりだった。
    さては城內(nèi)へ稼ぎに來(lái)ていたのか。阿Qは、急に自分が悄然として歌ひとつうたえずにいることが恥ずかしくなった。
    彼の思考は旋風(fēng)のように頭の中を駈け巡った。「若後家の墓參り」は勇ましくない。
    「竜虎の戦い」のなかの「悔ゆとも詮なし‥‥‥」も弱々しい。やはり「鉄の鞭をば振り上げて」にしよう。
    彼は手を振り上げようとした。はじめて手が縛られていることに気がついた。これで「鉄の鞭をば」もオジャンだ。
    「二十年目には生まれかわって男一匹‥‥‥」思いまどううちに、生まれて一度も口にしたことのない死刑囚の決り文句が「師匠いらず」に口から飛び出した。
    「よう、よう」群集中から、狼の遠(yuǎn)吠えのような聲が起こった。
    車は休みなく前進(jìn)していた。阿Qは、喝采の聲を浴びながら、目をきょろきょろさせて呉媽の姿を探した。
    呉媽は少しも彼に気がつかぬように、兵隊(duì)の背中の鉄砲にうっとりと見(jiàn)とれていた。
    阿Qはそこで、喝采した人々の方をもう一度眺めた。
    その剎那、彼の思考は再び旋風(fēng)のように頭のなかを駆け巡るような気がした。
    四年前、彼は山の麓で、一匹の飢えた狼に出會(huì)ったことがある。
    狼は、近づきもせず、遠(yuǎn)のきもせず、いつまでも彼の後をつけて、彼の肉を食おうとかかった。
    彼は、恐ろしさに生きた空もなかった。さいわい、鉈(なた)を一丁手にしていたので、
    そのお陰で肝を鎮(zhèn)めて、どうにか未荘まで辿りつくことができた。
    しかし、そのときの狼の眼は、永久に忘れられない。
    殘忍な、それでいて、びくびくした、キラキラ鬼火のように光る眼、それは、はるか遠(yuǎn)くから、
    彼の皮肉を突き刺すような気がしたものであった。ところが、今度という今度、これまで見(jiàn)たこともない、
    もっと恐ろしい眼を、彼は見(jiàn)たのである。にぶい、それでいて、刺のある眼。
    とうに彼の言葉を噛み砕いてしまったくせに、さらに彼の皮肉以外のものまで噛み砕こうとするかのように、
    近づきもせず、遠(yuǎn)のきもせずに、いつまでも、彼の後をつけてくるのだ。
    それらの眼どもは、スーッと、ひとつに合わさったかと思うと、いきなり彼の魂に噛みついた。
    「助けて‥‥‥」
    だが阿Qは、口に出しては言わなかった。彼は、とっくに眼がくらんで、耳の中でブーンという音がして、
    全身こなごなに飛び散るような気がしただけである。
    當(dāng)時(shí)の影響について言えば、もっとも大きな影響を蒙ったのは、むしろ挙人旦那であったろう。
    贓品の詮議が行われなくなったためで、そのため一家を挙げて號(hào)泣した。その次は趙家であった。
    秀才が城內(nèi)へ訴えに行ったとき、よからぬ革命黨のために辮髪を切られてしまった。
    そればかりでなく、二十貫の懸賞金をしぼられたからだ。そのため、これも一家を挙げて號(hào)泣した。
    この日を境として、彼らは次第に遺老的な気持ちになり出した。
    輿論はどうかというと、未荘では、一人の異論もなく、當(dāng)然、阿Qを悪いとした。
    銃殺に処せられたのは、その悪い証拠である。悪くなければ、銃殺などに処せられる道理がないではないか。
    一方、城內(nèi)の輿論は、あまり香しくなかった。彼らの多くは不満であった。銃殺は首切りほど面白くない、というのだ。
    しかも、なんと間の抜けた死刑囚ではないか。あんなに長(zhǎng)いあいだ引き廻されていながら、
    歌ひとつうたえないなんて、ついて廻っただけ歩き損だった、というのであった。