娘が自慢(?)の黒髪をばっさりと切った。もうすぐ5歳になるのだが、これまでほとんど髪の毛を切ったことがなかったので、腰に屆きそうなくらい長かった。それを思い切って切ったのは「Locks of Love」(ロックス・オブ・ラブ)といって、かつらが必要な病気の子どもたちや大人に提供するためのプログラムに參加するためだ。
近所に住む仲のいいお姉ちゃんが、髪を寄付したのを見て、娘も「切りたい」といいだした。私もいつかは娘の髪を役立たせたいと思っていたので、ちょうどいいタイミングだった。
この「Locks of Love」(ロックス・オブ・ラブ)という名前、“Lock”とは、「鍵をする」などのロックと同じつづりではあるが、「髪の束」という意味がある。條件に合わせて自分で髪をカットして、団體に送ることもできるし、美容院でもやってくれる。美容院で髪の毛をカットする場合、洗髪とカット代は無料になるところがほとんどだ。お金はチップを払うだけでいい(チップもいらないとはいわれるが)。
娘にとって初めての美容院。シャンプー臺(tái)で髪を洗ってもらったり、手を引かれながら店內(nèi)を移動(dòng)したり、大きな鏡の前でヘアーカットしてもらい、プリンセス気分を味わった。
三つ編みにして10インチ(約25センチ)が必要なため、想像していたよりも長さが必要だった。切った後はかなり短めの「おかっぱ頭」になってしまった。娘ははじめ、鏡に映った自分を「ちょっとプリンセスじゃないみたい」とすねていたが、店員たちからも「こんなにかわいい女の子、見たことないわ」とか「素?cái)长亭А埂袱铯いい铩工荣p賛され、「気に入ったわ」といって満足そうに店を出た。
今、髪を切ってから2週間がたったが、會(huì)う人、會(huì)う人から髪型が変わったことをいわれ、髪を寄付したことを告げると例外なく「素晴らしいことをしたのね。偉いわ」と譽(yù)めてもらえる。娘はテレながらも、まんざらでない表情を見せている。
実は、私の妹は白血病で10歳の短い命を終えている。20年以上前の話だ。放射能治療で彼女の自慢だったきれいな黒髪も抜けてしまっていた。おしゃれだった妹にとって、それはとてもつらいことだった。「おねえちゃん、きれいでしょ」といって髪をとかしていた元?dú)荬薯暏蚊盲巫摔蚪瘠扦馑激こ訾?。あの時(shí)、かつらをもらっていたら、どんなに喜んだだろう?!窵ocks of Love」のホームページには、かつらを提供された子どもたちのうれしそうな笑顔が載っている。娘の髪が、ひとりの子どもの笑顔を作り出してくれると思うと、とてもうれしく思う。
○……今週の土曜日、日本語補(bǔ)習(xí)校で運(yùn)動(dòng)會(huì)があった。補(bǔ)習(xí)校では、いろいろな日本的行事を工夫しながら行っているが、この運(yùn)動(dòng)會(huì)は子どもたちが一番楽しみにしている行事だ。萬國旗がはためく中、「玉入れ」や「二人三腳」などアメリカの學(xué)校ではなかなか體験できない競技をした。今年から加わった競技の中に「馬跳び」があったが、知らない子どもたち多く、2人が交互に馬跳びをしていくという日本では誰もが知っていることがわからなかったらしい。見ていたら子どもたちは助走を大きくとってやっと跳べていた。跳び箱をやったことがないという子どもが多いので、仕方がないことなのだろう。
古川直子(ふるかわ・なおこ)さんのプロフィール
元スポーツニッポン新聞?dòng)浾摺iL男が3歳半で渡米。長女を米國で出産。子育て歴は日本より米國のほうが長くなった。甘すぎて食べられなかったケーキと、薄すぎると思ったダンキン・ドーナッツのコーヒーが好物になった。野球はレッドソックス、アメフトはペイトリオッツのファン。すっかりニューイングランドの人間になってきたとイギリスでは、子どもたちが4歳から學(xué)校に通うことが普通だ。義務(wù)教育は5歳からなのだが、1年生の下に「レセプション・クラス」という4歳児を?qū)澫螭摔筏繉W(xué)年があって、小學(xué)校への入學(xué)手続きはこの學(xué)年に入る時(shí)に行われる。
4歳といえば、日本ではまだ幼稚園か保育園に通う年齢である。私は二男が「レセプション・クラス」に入った時(shí)、學(xué)校生活は遊びが中心なのではないかと思っていたが、そうではなくて、教室で読み書きや計(jì)算など本格的な學(xué)習(xí)が行われた。英語の本を毎日持ち帰って自宅でも読み方の練習(xí)をしなくてはならなかったので、息子がかわいそうに思えた。
幼児を?qū)W習(xí)させることについては、幼児教育関係者の間では批判があるとはいえ、すでに制度として定著しているのが実態(tài)。イギリス人の親たちは、わが子が早くから読み書きを覚えることを喜び、支持しているように見える。
私は最近、ウェールズ(注1)に仕事で行って、ウェールズが幼児をのびのびと遊ばせる體制に移行中であることを知った。ウェールズはこれまでイングランドと教育體制を共有していたので、4歳児からの「早期教育」も実施していた。しかし、「幼いうちから機(jī)に座らせて學(xué)習(xí)させることは逆効果」との結(jié)論に達(dá)し、方針転換したという。3歳から7歳までを「基礎(chǔ)段階期」として獨(dú)立させ、戸外での活動(dòng)を重視して幼児が遊びながら學(xué)び、社會(huì)性を身に付けていくような體制にする予定で、2008年度の実施を目指して現(xiàn)在、カリキュラムを作成中だ。フォーマルな學(xué)習(xí)の開始は子どもが7歳になるまで待つという。
ウェールズ地方政府のロドゥリ・モーガン首相は「私たちがイングランドと違う教育政策を?qū)g施するのは、畫期的なことです」と胸を張っていたが、私は両手を上げて賛成したい気持ちだった。4歳の子どもを?qū)W習(xí)させることが望ましいとはとても思えないからだ。思いっきり外で遊び、自分の周りの世界を発見することこそが、幼児には必要なのではないだろうか。
ウェールズの決定がイングランドにも及び、幼児が學(xué)習(xí)の重圧から解放されることを、私はひそかに願(yuàn)っている。
(注1)イギリス連合王國はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドから成り、ウェールズはイングランドの中西部に位置する。スコットランドと北アイルランドは歴史的に獨(dú)立性が高いが、ウェールズはイングランドの影響を最も強(qiáng)く受け、1999年に獨(dú)立行政@構(gòu)ができるまで、あらゆる行政制度をイングランドと共有してきた。
阿部菜穂子さんのプロフィール
1981年、國際基督教大學(xué)卒業(yè)後、毎日新聞社入社。同社京都支局、社會(huì)部、政治部、外信部など勤務(wù)後、95年、退社してフリーに。2001年8月から英國・ロンドンに在住し、「サンデー毎日」など日本の雑誌に英國事情を執(zhí)筆。英國人の夫と、12歳、6歳の男の子の4人暮らし。2004年夏、イギリスの保育・教育事情をまとめた「異文化で子どもが育つとき」(草土文化)を出版した。
まもなく5歳になる長女と2歳半の二女がいる。長女が2歳を過ぎたころから保育施設(shè)に少しずつお世話になり、お弁當(dāng)を持たせるようになって早3年になる。最近、子どもの幼稚園で他の子どもたちのお弁當(dāng)を見る機(jī)會(huì)があった。
オーストラリアでは保育園などで給食が振る舞われるところもあるが、お弁當(dāng)を持參させるところのほうが多い。
長女が保育園に行きはじめた當(dāng)初は離乳食の完了期にあった。家では具だくさんの味噌汁などを利用して子どもに野菜や肉、魚を食べやすいようにほぐし與えていた。しかし、お味噌汁を持參させ、保母さんに「これを適溫に暖めて、ご飯と一緒にうまくあげてください」と頼むわけにもいかず、オーストラリア生活の子育てにまだ不慣れだった私は、サンドイッチやおにぎりなどを悩みながら持たせたものだった。
最近は子どもも大きくなってきたので、離乳食の悩みはなくなった。そして、子どもが拒否しない限り、自分流のお弁當(dāng)を持たせる決心もついた。そんな中、長女が通う幼稚園でデイリーロースター(幼稚園1クラスの中からひとりの親が出席し、終日、園児と過ごごしながら先生を手伝い、楽しい?1日を過ごすもの)を経験した。毎日、クラスの中の誰かしらのお母さん(お父さん)が來ているので、子どもたちも慣れたもので、自分の親が來ている子どもは大変興奮して、うれしそうだ。そのときに、私が興味のあったお弁當(dāng)の時(shí)間も子どもたちと一緒に食べることができた。
さて、その中身はというと、ほとんどの子どもはサンドイッチをメーンにしている。サンドイッチにはさまれているものは、ハム、チーズ、ベジマイト(オーストラリアで有名な製品。野菜を原料にして発酵したペースト)、ジャムなどだ。明らかな形で野菜がはさまれているものは見かけなかった。メーンのほかには、果物やマフィン、ヨーグルト、などの甘いものが人気のようだった。しかし私を驚かせたのはランチボックスの中にサンドイッチのほか、ボップコーン、コーンフレークなどの小袋が2、3入っていたお弁當(dāng)だった。
そのお弁當(dāng)箱を開けた子どもはサンドイッチをひと口かじり、ゴミ箱に入れ、お菓子の袋をすべて開け、どの袋も中途半端に終わらせて捨てていた。まあこれは極端な例にしても、バランスのいいお弁當(dāng)を食べている子どもは少ないように思えた。
あるオーストラリアのリサーチで、小學(xué)生の5人に1人、高校生の4人に1人が朝ごはん抜きで學(xué)校にやってくるという。體や脳が成長する大事な時(shí)期に朝食を抜いたうえ、晝ごはんもスナックのような食べ物を食べていたら學(xué)校生活に支障をきたすだろうと、他人の子ながら心配になった。
小學(xué)校以上の學(xué)校にはタックショップと呼ばれる売店がある。學(xué)校によって違いはあるが、そこで販売されるものはジュースや、サンドイッチなどのほか、アメやスナック菓子、ピザなどがあるようだ。スナック菓子やジュースで血糖値をすぐに上げれば、一時(shí)的に満足は得られるけれど、すぐに空腹になってしまう。そして、また同じような食事をしてしまい、太っているのに栄養(yǎng)失調(diào)の子どもが出來上がってしまうだろう。今、オーストラリアでは肥満と糖尿病が國民の健康をおびやかしている。學(xué)校の食堂でも朝食を販売したり、栄養(yǎng)価のいい食品を置くような動(dòng)きが出てきている。
オーストラリアにはおいしいフルーツがたくさんあるし、主食であるパン類の種類も豊富だ。これを利用して、お弁當(dāng)を用意してあげたいものだ。
マックフェイル佐奈絵さん プロフィール
1965年生まれ。大卒後、獣醫(yī)として東京の動(dòng)物病院で働いていたが、2000年にオーストラリア人の夫と出會(huì)い結(jié)婚。2001年5月、長女を出産した。同年12月にオーストラリア・ブリスベンに移住し、2003年6月にこの地で二女の出産を経験した。2児の母になり忙しさは増したが、子どものお陰で初対面の人との英會(huì)話もスムーズに運(yùn)び、自分自身の活動(dòng)範(fàn)囲も広がりつつある。
今、日本では少子化が騒がれている。子どもを産まない理由は人それぞれではあるけれど、日本で子どもを育てるのは決して楽なことではない。特に共働きの夫婦にはそれなりの環(huán)境と覚悟が必要だと思う。我が家も共働きだったので、生後8カ月から息子を保育園に預(yù)けることになった。保育園探しは生後すぐに始めたが、長いこと入園の空きを待ったし、いざ、子どもを預(yù)けて仕事を再開しても、以前のように時(shí)間を考えず、思いっきり仕事に打ち込むことはできなかった。日本で仕事をしながら子育てをするのは、時(shí)間的に余裕がないばかりか、仕事も子育ても中途半端になってしまうのが現(xiàn)狀だ。そんな悩みを抱えて、仕事をあきらめ子育てに専念する女性が多いのも納得できる。
さて、私たちはその後、ベトナムに移住したが、ベトナムに暮らしてみて驚いたことがある。それは、子どもを持つベトナム人女性のほとんどが働いていることだ。「子どもは夫婦に2人まで」を呼びかけている政府だが、実際はいまだに大半が大所帯。ホーチミン市のような都市部では子どもの數(shù)は減りつつあるけれど、ひとつの家庭に祖父母をはじめ、田舎からやって來た親戚やその家族、お手伝いさんなどが一緒に暮らしているケースが多い。となると當(dāng)然、家庭の中には手が余るわけで、「家事と子育ては母親の役目」という日本の常識(shí)は當(dāng)てはまらくなる。実際、ほとんどの母親が、家事や子守りを祖父母やお手伝いさんに任せて仕事をしている。ベトナムではそれほど裕福でなくても、お手伝いさんを雇っている家庭が多い。社會(huì)全體がそうだから、子どもを人に預(yù)けて働く母親にも後ろめたさはない。働ける人が働く、手の空いている人が子どもの世話をする。この合理的な生活は、核家族が主流となる以前には、日本にもあっにもあったのではないだろうか。こうした家庭環(huán)境ばかりでなく、ベトナムは子どもの預(yù)け先にも恵まれている。ベトナムでは保育園と幼稚園という分け方がなく、小學(xué)校へ上がるまでの子どもはMam Non(またはNha Tre)という幼稚園兼保育園のような場所に通う。共働きが當(dāng)たり前なので、朝は6時(shí)半から夜は8時(shí)頃まで子どもを預(yù)けることができる。內(nèi)容は日本の幼稚園や保育園のような"遊び"を中心とした活動(dòng)ではなく、文字の読み書きなどの"學(xué)習(xí)"がメイン。夕方以降は、ピアノ教室や英語教室なども希望すれば受けられる。それらの施設(shè)は數(shù)多くあり、入園待ちで困ることもない。
ところで、ひとつ大事なことを補(bǔ)足しておくと、ベトナムでは「共働き」といっても、働く時(shí)間も働き方にも日本との違いはたくさんある。一般に會(huì)社勤めなら午前中は朝8時(shí)~12時(shí)、晝はたっぷり2時(shí)間休憩があり、わざわざ家に帰って晝ご飯を食べる人が多い。食後の晝寢は欠かさず、午後は2時(shí)~5時(shí)までといったもの。そして、仕事よりも家族を大切にするベトナム人は殘業(yè)なんて絶対しない。そんなのんびりモードだからこそできる両立なのかもしれないが、日本での暮らしを思うとうらやましい限りだ。
石渡真由美さんのプロフィール
1971年、東京生まれ。フリーペーパーの編集、赤ちゃん雑誌、旅行本のライターを経て、2003年より寫真家の夫と一人息子とともにベトナム・ホーチミン市へ移住。3年間暮らした後、今年3月に日本へ帰國。今後は第二の故郷ベトナムを書き続けるとともに、住まいのある鎌倉についても書いていきたい。ベトナムと日本のカルチャーギャップを綴った「越南小町のニッポン☆リハビリ中」
「こどもの日」は日本では5月5日だけれど、トルコでは4月23日である。列強(qiáng)の占領(lǐng)下、オスマントルコ帝國という國が分割されて消滅しようとしていた1920年4月23日、獨(dú)立戦爭を戦うトルコ人たちが、この日はじめて國民會(huì)議を開いた。事実上の獨(dú)立宣言であり、ここにトルコ共和國が誕生する。その獨(dú)立記念日を、トルコは「こどもの日」と呼んでいる。死してなお今も変わらず絶大な尊敬を集める、初代大統(tǒng)領(lǐng)アタチュルクが、「わが國の將來はこの子どもたちが擔(dān)う」と期待したことに由來するようだ。
この日はトルコ全土で子どもたちのセレモニーが行われる。町の中心広場や巨大なサッカー・スタジアムもこの日ばかりは子どもに占領(lǐng)され、子どもたちによる華やかなショーの舞臺(tái)となる。この日、學(xué)校別選抜チームが発表する民族ダンスや創(chuàng)作ダンスを見に、大人たちも詰めかけ、日本の運(yùn)動(dòng)會(huì)にも似た盛り上がりを見せる。ショーの出しもののために、子どもたちは何カ月も前から勉強(qiáng)そっちのけで練習(xí)を積むらしい。都會(huì)ではこの日くらいしか著る機(jī)會(huì)のない民族衣裝や、お母さんお手製のダンス・コスチュームなどに女の子たちは夢中になる
そのほかにもマクドナルドや市が開催する、1日遊園地などがある。公園や工場跡地などに中に空気を入れてふくらませた強(qiáng)大なすべり臺(tái)やお城を作って遊ばせてくれるのだ。
3月末にサマータイムに移行し、日が長くなったことも手伝って、日に日に暖かくなる太陽の下、なんだか皆ウキウキしている。6月はじめには學(xué)校が學(xué)年末を迎える。これからの4月、5月はなにかと1年の成果を発表する機(jī)會(huì)が多いようだ。年々激化する、受験戦爭もそれに付隨するものだけれど……。
數(shù)年前、自分の息子たちを連れて近くの公園に行った時(shí)、ひとりのカナダ人女性が2~5歳の子どもたち4人と遊びに來ていた?!溉郡ⅳ胜郡巫婴嗓猡胜??」と思わず質(zhì)問をしてしまったのだが、「いいえ、私の子どもはもうかなり大きいのよ(笑)。私はビジネスでこの仕事をしているの」。よく見れば、髪の色も、顔かたちも皆違うが、彼女はお母さんのように子どもたちに接している。それはカナダの「ファミリーデイケア」、自宅で運(yùn)営する認(rèn)可の家庭保育園だった。子育てのために、キャリアを中斷せざるを得ない女性はたくさんいるが、フィリピン育ちの中國人サリー・オンもそのひとりだった。華僑である一族はフィリピンでデパートを多數(shù)経営していて、彼女はフィリピン大學(xué)を卒業(yè)後、ニューヨークにMBA留學(xué)した。ビジネス・スクールで、ファイナンス&マーケティングを?qū)Wび、公認(rèn)會(huì)計(jì)士の資格も持っている。卒業(yè)後はフィリピンでファミリーの経営するデパート運(yùn)営を任されていたが、94年にカナダに移住、そして絶対安靜を言い渡された妊娠を機(jī)に仕事を辭めた。ご主人はエアカナダの技術(shù)者だ?,F(xiàn)在3歳、4歳、6歳のママ?!缸佑皮颏筏胜?、できる仕事って限られていますね。ファミリーデイケアを開いたら、自分の子どもたちの友だちもできるし、収入源にもなると考えました」とサリーさん。やはり、小さな子どものいるママが運(yùn)営しているところが多いようだファミリーデイケアを開くにはライセンス取得が必要。まずは學(xué)校かコミュニティー・センターで、ファミリー・チャイルドケア・コースを2カ月間受講する。かなりの課題が出るという。卒業(yè)後は、カナダ政府の役人が來て、インタビューや場所のチェック。救急のコースを受講したり、その家の成人は全員無犯罪証明書を提出する。また、消防署、電気、建物、水まわりなどさらに政府から4人も來てチェックされる。最終的にビジネス・ライセンスが取れると、自分の子どもを除き、7人まで預(yù)かることが可能になる?!福啡摔佶萤`だったらどうなるの?」と思っていたら、ベビーは1人のみ、0~3歳までは3人まで……と、また細(xì)かい決まりがあるそうだ。サリーの家は引っ越したばかりなので、現(xiàn)在ライセンスを更新中。ファミリーデイケアではお勉強(qiáng)タイムがないのが一般的のようだが、サリーは學(xué)術(shù)派タイプなので、ワークブックを持たせると、スペリングやリーディングを見てくれる。彼女の子どもたちもご両親を真似て自然と本好きに育ち、お勉強(qiáng)が大好き。取材の日も、自分からワークブックを持ってきて勉強(qiáng)していた(うちの子どもに爪のあかを煎じて飲ませたい?。?。なんと4歳の二女がやっていたのはグレード2(小學(xué)2年生)の本だった……。
カナダの子どもの生後6カ月~5歳児の半數(shù)は、デイケアまたはベビーシッターに預(yù)けられているという統(tǒng)計(jì)がある。子どもが學(xué)齢に達(dá)していれば、2歳半~12歳までのグループデイケアはよいが、小さなうちはやはり目が屆き、同じぐらいの子どもたちを預(yù)かっているファミリーデイケアがいいと思う。が、それも信頼できる人でないと心配だ。仕事をしたり、再就職をしようと考えているカナダのママたちにとって、よいデイケア探しは、子どもが1人でもお留守番ができる12歳に達(dá)するまで続く課題なのである
近所に住む仲のいいお姉ちゃんが、髪を寄付したのを見て、娘も「切りたい」といいだした。私もいつかは娘の髪を役立たせたいと思っていたので、ちょうどいいタイミングだった。
この「Locks of Love」(ロックス・オブ・ラブ)という名前、“Lock”とは、「鍵をする」などのロックと同じつづりではあるが、「髪の束」という意味がある。條件に合わせて自分で髪をカットして、団體に送ることもできるし、美容院でもやってくれる。美容院で髪の毛をカットする場合、洗髪とカット代は無料になるところがほとんどだ。お金はチップを払うだけでいい(チップもいらないとはいわれるが)。
娘にとって初めての美容院。シャンプー臺(tái)で髪を洗ってもらったり、手を引かれながら店內(nèi)を移動(dòng)したり、大きな鏡の前でヘアーカットしてもらい、プリンセス気分を味わった。
三つ編みにして10インチ(約25センチ)が必要なため、想像していたよりも長さが必要だった。切った後はかなり短めの「おかっぱ頭」になってしまった。娘ははじめ、鏡に映った自分を「ちょっとプリンセスじゃないみたい」とすねていたが、店員たちからも「こんなにかわいい女の子、見たことないわ」とか「素?cái)长亭А埂袱铯いい铩工荣p賛され、「気に入ったわ」といって満足そうに店を出た。
今、髪を切ってから2週間がたったが、會(huì)う人、會(huì)う人から髪型が変わったことをいわれ、髪を寄付したことを告げると例外なく「素晴らしいことをしたのね。偉いわ」と譽(yù)めてもらえる。娘はテレながらも、まんざらでない表情を見せている。
実は、私の妹は白血病で10歳の短い命を終えている。20年以上前の話だ。放射能治療で彼女の自慢だったきれいな黒髪も抜けてしまっていた。おしゃれだった妹にとって、それはとてもつらいことだった。「おねえちゃん、きれいでしょ」といって髪をとかしていた元?dú)荬薯暏蚊盲巫摔蚪瘠扦馑激こ訾?。あの時(shí)、かつらをもらっていたら、どんなに喜んだだろう?!窵ocks of Love」のホームページには、かつらを提供された子どもたちのうれしそうな笑顔が載っている。娘の髪が、ひとりの子どもの笑顔を作り出してくれると思うと、とてもうれしく思う。
○……今週の土曜日、日本語補(bǔ)習(xí)校で運(yùn)動(dòng)會(huì)があった。補(bǔ)習(xí)校では、いろいろな日本的行事を工夫しながら行っているが、この運(yùn)動(dòng)會(huì)は子どもたちが一番楽しみにしている行事だ。萬國旗がはためく中、「玉入れ」や「二人三腳」などアメリカの學(xué)校ではなかなか體験できない競技をした。今年から加わった競技の中に「馬跳び」があったが、知らない子どもたち多く、2人が交互に馬跳びをしていくという日本では誰もが知っていることがわからなかったらしい。見ていたら子どもたちは助走を大きくとってやっと跳べていた。跳び箱をやったことがないという子どもが多いので、仕方がないことなのだろう。
古川直子(ふるかわ・なおこ)さんのプロフィール
元スポーツニッポン新聞?dòng)浾摺iL男が3歳半で渡米。長女を米國で出産。子育て歴は日本より米國のほうが長くなった。甘すぎて食べられなかったケーキと、薄すぎると思ったダンキン・ドーナッツのコーヒーが好物になった。野球はレッドソックス、アメフトはペイトリオッツのファン。すっかりニューイングランドの人間になってきたとイギリスでは、子どもたちが4歳から學(xué)校に通うことが普通だ。義務(wù)教育は5歳からなのだが、1年生の下に「レセプション・クラス」という4歳児を?qū)澫螭摔筏繉W(xué)年があって、小學(xué)校への入學(xué)手続きはこの學(xué)年に入る時(shí)に行われる。
4歳といえば、日本ではまだ幼稚園か保育園に通う年齢である。私は二男が「レセプション・クラス」に入った時(shí)、學(xué)校生活は遊びが中心なのではないかと思っていたが、そうではなくて、教室で読み書きや計(jì)算など本格的な學(xué)習(xí)が行われた。英語の本を毎日持ち帰って自宅でも読み方の練習(xí)をしなくてはならなかったので、息子がかわいそうに思えた。
幼児を?qū)W習(xí)させることについては、幼児教育関係者の間では批判があるとはいえ、すでに制度として定著しているのが実態(tài)。イギリス人の親たちは、わが子が早くから読み書きを覚えることを喜び、支持しているように見える。
私は最近、ウェールズ(注1)に仕事で行って、ウェールズが幼児をのびのびと遊ばせる體制に移行中であることを知った。ウェールズはこれまでイングランドと教育體制を共有していたので、4歳児からの「早期教育」も実施していた。しかし、「幼いうちから機(jī)に座らせて學(xué)習(xí)させることは逆効果」との結(jié)論に達(dá)し、方針転換したという。3歳から7歳までを「基礎(chǔ)段階期」として獨(dú)立させ、戸外での活動(dòng)を重視して幼児が遊びながら學(xué)び、社會(huì)性を身に付けていくような體制にする予定で、2008年度の実施を目指して現(xiàn)在、カリキュラムを作成中だ。フォーマルな學(xué)習(xí)の開始は子どもが7歳になるまで待つという。
ウェールズ地方政府のロドゥリ・モーガン首相は「私たちがイングランドと違う教育政策を?qū)g施するのは、畫期的なことです」と胸を張っていたが、私は両手を上げて賛成したい気持ちだった。4歳の子どもを?qū)W習(xí)させることが望ましいとはとても思えないからだ。思いっきり外で遊び、自分の周りの世界を発見することこそが、幼児には必要なのではないだろうか。
ウェールズの決定がイングランドにも及び、幼児が學(xué)習(xí)の重圧から解放されることを、私はひそかに願(yuàn)っている。
(注1)イギリス連合王國はイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドから成り、ウェールズはイングランドの中西部に位置する。スコットランドと北アイルランドは歴史的に獨(dú)立性が高いが、ウェールズはイングランドの影響を最も強(qiáng)く受け、1999年に獨(dú)立行政@構(gòu)ができるまで、あらゆる行政制度をイングランドと共有してきた。
阿部菜穂子さんのプロフィール
1981年、國際基督教大學(xué)卒業(yè)後、毎日新聞社入社。同社京都支局、社會(huì)部、政治部、外信部など勤務(wù)後、95年、退社してフリーに。2001年8月から英國・ロンドンに在住し、「サンデー毎日」など日本の雑誌に英國事情を執(zhí)筆。英國人の夫と、12歳、6歳の男の子の4人暮らし。2004年夏、イギリスの保育・教育事情をまとめた「異文化で子どもが育つとき」(草土文化)を出版した。
まもなく5歳になる長女と2歳半の二女がいる。長女が2歳を過ぎたころから保育施設(shè)に少しずつお世話になり、お弁當(dāng)を持たせるようになって早3年になる。最近、子どもの幼稚園で他の子どもたちのお弁當(dāng)を見る機(jī)會(huì)があった。
オーストラリアでは保育園などで給食が振る舞われるところもあるが、お弁當(dāng)を持參させるところのほうが多い。
長女が保育園に行きはじめた當(dāng)初は離乳食の完了期にあった。家では具だくさんの味噌汁などを利用して子どもに野菜や肉、魚を食べやすいようにほぐし與えていた。しかし、お味噌汁を持參させ、保母さんに「これを適溫に暖めて、ご飯と一緒にうまくあげてください」と頼むわけにもいかず、オーストラリア生活の子育てにまだ不慣れだった私は、サンドイッチやおにぎりなどを悩みながら持たせたものだった。
最近は子どもも大きくなってきたので、離乳食の悩みはなくなった。そして、子どもが拒否しない限り、自分流のお弁當(dāng)を持たせる決心もついた。そんな中、長女が通う幼稚園でデイリーロースター(幼稚園1クラスの中からひとりの親が出席し、終日、園児と過ごごしながら先生を手伝い、楽しい?1日を過ごすもの)を経験した。毎日、クラスの中の誰かしらのお母さん(お父さん)が來ているので、子どもたちも慣れたもので、自分の親が來ている子どもは大変興奮して、うれしそうだ。そのときに、私が興味のあったお弁當(dāng)の時(shí)間も子どもたちと一緒に食べることができた。
さて、その中身はというと、ほとんどの子どもはサンドイッチをメーンにしている。サンドイッチにはさまれているものは、ハム、チーズ、ベジマイト(オーストラリアで有名な製品。野菜を原料にして発酵したペースト)、ジャムなどだ。明らかな形で野菜がはさまれているものは見かけなかった。メーンのほかには、果物やマフィン、ヨーグルト、などの甘いものが人気のようだった。しかし私を驚かせたのはランチボックスの中にサンドイッチのほか、ボップコーン、コーンフレークなどの小袋が2、3入っていたお弁當(dāng)だった。
そのお弁當(dāng)箱を開けた子どもはサンドイッチをひと口かじり、ゴミ箱に入れ、お菓子の袋をすべて開け、どの袋も中途半端に終わらせて捨てていた。まあこれは極端な例にしても、バランスのいいお弁當(dāng)を食べている子どもは少ないように思えた。
あるオーストラリアのリサーチで、小學(xué)生の5人に1人、高校生の4人に1人が朝ごはん抜きで學(xué)校にやってくるという。體や脳が成長する大事な時(shí)期に朝食を抜いたうえ、晝ごはんもスナックのような食べ物を食べていたら學(xué)校生活に支障をきたすだろうと、他人の子ながら心配になった。
小學(xué)校以上の學(xué)校にはタックショップと呼ばれる売店がある。學(xué)校によって違いはあるが、そこで販売されるものはジュースや、サンドイッチなどのほか、アメやスナック菓子、ピザなどがあるようだ。スナック菓子やジュースで血糖値をすぐに上げれば、一時(shí)的に満足は得られるけれど、すぐに空腹になってしまう。そして、また同じような食事をしてしまい、太っているのに栄養(yǎng)失調(diào)の子どもが出來上がってしまうだろう。今、オーストラリアでは肥満と糖尿病が國民の健康をおびやかしている。學(xué)校の食堂でも朝食を販売したり、栄養(yǎng)価のいい食品を置くような動(dòng)きが出てきている。
オーストラリアにはおいしいフルーツがたくさんあるし、主食であるパン類の種類も豊富だ。これを利用して、お弁當(dāng)を用意してあげたいものだ。
マックフェイル佐奈絵さん プロフィール
1965年生まれ。大卒後、獣醫(yī)として東京の動(dòng)物病院で働いていたが、2000年にオーストラリア人の夫と出會(huì)い結(jié)婚。2001年5月、長女を出産した。同年12月にオーストラリア・ブリスベンに移住し、2003年6月にこの地で二女の出産を経験した。2児の母になり忙しさは増したが、子どものお陰で初対面の人との英會(huì)話もスムーズに運(yùn)び、自分自身の活動(dòng)範(fàn)囲も広がりつつある。
今、日本では少子化が騒がれている。子どもを産まない理由は人それぞれではあるけれど、日本で子どもを育てるのは決して楽なことではない。特に共働きの夫婦にはそれなりの環(huán)境と覚悟が必要だと思う。我が家も共働きだったので、生後8カ月から息子を保育園に預(yù)けることになった。保育園探しは生後すぐに始めたが、長いこと入園の空きを待ったし、いざ、子どもを預(yù)けて仕事を再開しても、以前のように時(shí)間を考えず、思いっきり仕事に打ち込むことはできなかった。日本で仕事をしながら子育てをするのは、時(shí)間的に余裕がないばかりか、仕事も子育ても中途半端になってしまうのが現(xiàn)狀だ。そんな悩みを抱えて、仕事をあきらめ子育てに専念する女性が多いのも納得できる。
さて、私たちはその後、ベトナムに移住したが、ベトナムに暮らしてみて驚いたことがある。それは、子どもを持つベトナム人女性のほとんどが働いていることだ。「子どもは夫婦に2人まで」を呼びかけている政府だが、実際はいまだに大半が大所帯。ホーチミン市のような都市部では子どもの數(shù)は減りつつあるけれど、ひとつの家庭に祖父母をはじめ、田舎からやって來た親戚やその家族、お手伝いさんなどが一緒に暮らしているケースが多い。となると當(dāng)然、家庭の中には手が余るわけで、「家事と子育ては母親の役目」という日本の常識(shí)は當(dāng)てはまらくなる。実際、ほとんどの母親が、家事や子守りを祖父母やお手伝いさんに任せて仕事をしている。ベトナムではそれほど裕福でなくても、お手伝いさんを雇っている家庭が多い。社會(huì)全體がそうだから、子どもを人に預(yù)けて働く母親にも後ろめたさはない。働ける人が働く、手の空いている人が子どもの世話をする。この合理的な生活は、核家族が主流となる以前には、日本にもあっにもあったのではないだろうか。こうした家庭環(huán)境ばかりでなく、ベトナムは子どもの預(yù)け先にも恵まれている。ベトナムでは保育園と幼稚園という分け方がなく、小學(xué)校へ上がるまでの子どもはMam Non(またはNha Tre)という幼稚園兼保育園のような場所に通う。共働きが當(dāng)たり前なので、朝は6時(shí)半から夜は8時(shí)頃まで子どもを預(yù)けることができる。內(nèi)容は日本の幼稚園や保育園のような"遊び"を中心とした活動(dòng)ではなく、文字の読み書きなどの"學(xué)習(xí)"がメイン。夕方以降は、ピアノ教室や英語教室なども希望すれば受けられる。それらの施設(shè)は數(shù)多くあり、入園待ちで困ることもない。
ところで、ひとつ大事なことを補(bǔ)足しておくと、ベトナムでは「共働き」といっても、働く時(shí)間も働き方にも日本との違いはたくさんある。一般に會(huì)社勤めなら午前中は朝8時(shí)~12時(shí)、晝はたっぷり2時(shí)間休憩があり、わざわざ家に帰って晝ご飯を食べる人が多い。食後の晝寢は欠かさず、午後は2時(shí)~5時(shí)までといったもの。そして、仕事よりも家族を大切にするベトナム人は殘業(yè)なんて絶対しない。そんなのんびりモードだからこそできる両立なのかもしれないが、日本での暮らしを思うとうらやましい限りだ。
石渡真由美さんのプロフィール
1971年、東京生まれ。フリーペーパーの編集、赤ちゃん雑誌、旅行本のライターを経て、2003年より寫真家の夫と一人息子とともにベトナム・ホーチミン市へ移住。3年間暮らした後、今年3月に日本へ帰國。今後は第二の故郷ベトナムを書き続けるとともに、住まいのある鎌倉についても書いていきたい。ベトナムと日本のカルチャーギャップを綴った「越南小町のニッポン☆リハビリ中」
「こどもの日」は日本では5月5日だけれど、トルコでは4月23日である。列強(qiáng)の占領(lǐng)下、オスマントルコ帝國という國が分割されて消滅しようとしていた1920年4月23日、獨(dú)立戦爭を戦うトルコ人たちが、この日はじめて國民會(huì)議を開いた。事実上の獨(dú)立宣言であり、ここにトルコ共和國が誕生する。その獨(dú)立記念日を、トルコは「こどもの日」と呼んでいる。死してなお今も変わらず絶大な尊敬を集める、初代大統(tǒng)領(lǐng)アタチュルクが、「わが國の將來はこの子どもたちが擔(dān)う」と期待したことに由來するようだ。
この日はトルコ全土で子どもたちのセレモニーが行われる。町の中心広場や巨大なサッカー・スタジアムもこの日ばかりは子どもに占領(lǐng)され、子どもたちによる華やかなショーの舞臺(tái)となる。この日、學(xué)校別選抜チームが発表する民族ダンスや創(chuàng)作ダンスを見に、大人たちも詰めかけ、日本の運(yùn)動(dòng)會(huì)にも似た盛り上がりを見せる。ショーの出しもののために、子どもたちは何カ月も前から勉強(qiáng)そっちのけで練習(xí)を積むらしい。都會(huì)ではこの日くらいしか著る機(jī)會(huì)のない民族衣裝や、お母さんお手製のダンス・コスチュームなどに女の子たちは夢中になる
そのほかにもマクドナルドや市が開催する、1日遊園地などがある。公園や工場跡地などに中に空気を入れてふくらませた強(qiáng)大なすべり臺(tái)やお城を作って遊ばせてくれるのだ。
3月末にサマータイムに移行し、日が長くなったことも手伝って、日に日に暖かくなる太陽の下、なんだか皆ウキウキしている。6月はじめには學(xué)校が學(xué)年末を迎える。これからの4月、5月はなにかと1年の成果を発表する機(jī)會(huì)が多いようだ。年々激化する、受験戦爭もそれに付隨するものだけれど……。
數(shù)年前、自分の息子たちを連れて近くの公園に行った時(shí)、ひとりのカナダ人女性が2~5歳の子どもたち4人と遊びに來ていた?!溉郡ⅳ胜郡巫婴嗓猡胜??」と思わず質(zhì)問をしてしまったのだが、「いいえ、私の子どもはもうかなり大きいのよ(笑)。私はビジネスでこの仕事をしているの」。よく見れば、髪の色も、顔かたちも皆違うが、彼女はお母さんのように子どもたちに接している。それはカナダの「ファミリーデイケア」、自宅で運(yùn)営する認(rèn)可の家庭保育園だった。子育てのために、キャリアを中斷せざるを得ない女性はたくさんいるが、フィリピン育ちの中國人サリー・オンもそのひとりだった。華僑である一族はフィリピンでデパートを多數(shù)経営していて、彼女はフィリピン大學(xué)を卒業(yè)後、ニューヨークにMBA留學(xué)した。ビジネス・スクールで、ファイナンス&マーケティングを?qū)Wび、公認(rèn)會(huì)計(jì)士の資格も持っている。卒業(yè)後はフィリピンでファミリーの経営するデパート運(yùn)営を任されていたが、94年にカナダに移住、そして絶対安靜を言い渡された妊娠を機(jī)に仕事を辭めた。ご主人はエアカナダの技術(shù)者だ?,F(xiàn)在3歳、4歳、6歳のママ?!缸佑皮颏筏胜?、できる仕事って限られていますね。ファミリーデイケアを開いたら、自分の子どもたちの友だちもできるし、収入源にもなると考えました」とサリーさん。やはり、小さな子どものいるママが運(yùn)営しているところが多いようだファミリーデイケアを開くにはライセンス取得が必要。まずは學(xué)校かコミュニティー・センターで、ファミリー・チャイルドケア・コースを2カ月間受講する。かなりの課題が出るという。卒業(yè)後は、カナダ政府の役人が來て、インタビューや場所のチェック。救急のコースを受講したり、その家の成人は全員無犯罪証明書を提出する。また、消防署、電気、建物、水まわりなどさらに政府から4人も來てチェックされる。最終的にビジネス・ライセンスが取れると、自分の子どもを除き、7人まで預(yù)かることが可能になる?!福啡摔佶萤`だったらどうなるの?」と思っていたら、ベビーは1人のみ、0~3歳までは3人まで……と、また細(xì)かい決まりがあるそうだ。サリーの家は引っ越したばかりなので、現(xiàn)在ライセンスを更新中。ファミリーデイケアではお勉強(qiáng)タイムがないのが一般的のようだが、サリーは學(xué)術(shù)派タイプなので、ワークブックを持たせると、スペリングやリーディングを見てくれる。彼女の子どもたちもご両親を真似て自然と本好きに育ち、お勉強(qiáng)が大好き。取材の日も、自分からワークブックを持ってきて勉強(qiáng)していた(うちの子どもに爪のあかを煎じて飲ませたい?。?。なんと4歳の二女がやっていたのはグレード2(小學(xué)2年生)の本だった……。
カナダの子どもの生後6カ月~5歳児の半數(shù)は、デイケアまたはベビーシッターに預(yù)けられているという統(tǒng)計(jì)がある。子どもが學(xué)齢に達(dá)していれば、2歳半~12歳までのグループデイケアはよいが、小さなうちはやはり目が屆き、同じぐらいの子どもたちを預(yù)かっているファミリーデイケアがいいと思う。が、それも信頼できる人でないと心配だ。仕事をしたり、再就職をしようと考えているカナダのママたちにとって、よいデイケア探しは、子どもが1人でもお留守番ができる12歳に達(dá)するまで続く課題なのである