一葉落ちて天下の秋を知る

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鍋の肉の味をみようする場(chǎng)合に、鍋の中の肉を全部食べなければわからなぬということはない。その一切れをなめてみれば、鍋の中の肉全部の味を知ることができるのだ。また、濕気に感じない羽と、濕気をよく吸う炭とを秤にかけて、空気が乾燥しているか濕気をもっているかを知ることができる。このようなのは、小さなものをもって大きなものを明らかにする例である。また梧桐の葉が一枚落ちるのを見(jiàn)れば、年の暮れに近づいたことがわかるし、瓶の中の水が凍っているのを見(jiàn)れば、世の中全體が寒くなったことがわかる道理、これは手近なものから遠(yuǎn)いものを推察する例である。
    これは前漢の時(shí)、淮南王であった劉安が著した『淮南子」という書(shū)物の「説山訓(xùn)」の章に見(jiàn)える言葉である。この中の「一葉落つるを見(jiàn)て、歳の將に暮れんとするを知り、瓶中の氷を見(jiàn)て、天下の寒きを知る?!工⒗钭忧浃巍盖锵x(chóng)賦」に「一葉落つ天地の秋」となって見(jiàn)え、「文録」に唐人の詩(shī)として載せられたものに「一葉落ちて天下の秋を知る」となって出ている。
    『淮南子」での意味は、小さな現(xiàn)象から大きな根本を悟らねばならぬというのであるが、今ではむしろ、小さな兆候から衰え亡びようとする形勢(shì)を察する喩えに用いられている。坪內(nèi)逍遙の「桐一葉」は片桐の桐をとると同時(shí)に、豊臣家の衰亡の意をこめているのだろう。