金城湯池

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強(qiáng)大な秦の國も、始皇帝が死に、暗愚な二世皇帝が即位すると、土臺(tái)が揺らぎ始め、各地に潛伏していた戦國時(shí)代の舊六強(qiáng)國の宗室、遺臣たちが、そろそろ頭をもたげ、秦*に立ち上がった。そして、めいめいに王と稱して兵を起こし、郡県の長を殺し城市を占領(lǐng)して気勢(shì)を上げ、秦室の威令はまったく地に墮ちた。
    そのころ、武臣という人が趙の舊領(lǐng)地(山西省)を平定して、武信君と號(hào)した。これを見たカイ通という范陽(河北省)の論客が県令の徐公に言った。
    「あなたはいま、非常に危い狀態(tài)におかれていらっしゃるので、お見舞申し上げます。
    しかし、この私の言を聞き入れられますならば、反って幸福になられましょうから、お喜び申し上げます?!?BR>    徐公は驚いて言った。
    「なぜ危いのですか?」
    「考えてもご覧なさい。あなたが県令になられてから十余年、その間、秦の刑罰がきびし過ぎたため、親を殺された子、足を切られた人、いれずみをされた者などが非常に大勢(shì)います。內(nèi)心ではみんな非常に秦を、いや直接にはあなたを恨んでいますが、誰もあえて、あなたを殺そうとはしませんでした。それは秦がこわいからです。しかし、いまは天下が亂れ、秦の威令は行われていませんので、人々はいまこそ、あなたを殺して恨みを晴らし、名を挙げようとしています。これがお見舞を申し上げる理由です?!?BR>    「では、君の言を聞けばうまく行くから、慶びをいうというのは?」
    カイ通はひざを乗り出して、次のように答えた。
    「私はあなたに代わって武信君に會(huì)い、こう言いましょう。
    『戦いに勝って土地を取り、攻めて城を降すのは危険なことです。
    私の計(jì)略を用い、戦わずに土地や城を、手に入れる方法をとられてはいかがです?!护?。
    武信君はきっと、『それは、どういう方法か?』
    とたずねるでしょう。そしたら私はいってやります。
    『もしあなたが范陽を攻め、県令が力盡きて降參した場(chǎng)合、県令を粗末に扱われるならば、死を恐れ、富貴を望んでいる諸國の県令たちは、「せっかく降參したのに、あんな目に遭わされては損だ」と、ますます軍備を充実し、沸き立つ湯の池に囲まれた、銅(金)の城(金城湯池)のように鉄壁の守りを固めて、あなたの軍勢(shì)を待つでしょう。これでは攻められますまい。
    私はあえて忠告いたします。
    どうか范陽の県令を手厚く迎え、諸方へ使いにおやりなさい。
    諸方の県令たちは、それを見て、「范陽の県令は、いち早く降參したために、殺されるどころか、反ってあんなに手厚く遇されている。では一つ自分も?」ということになり、みな戦わずに降參するでしょ。
    これが千里の彼方まで、わけなく平定する方法です
    とこういえば、武信君もきっと聞き入れるでしょう。
    徐公は喜んで、さっそくカイ通を武信君の所へやった。武信君も、通の話を聞いて「なるほど」と感心し、范陽の県令を手厚く招き、方々へ使いに出した。范陽の人々は、戦火を免れて非常に徐公を徳としたし、戦わずに武信君に降るものが、華北だけで三十余城もあったという。
    のちに、韓信もカイ通の言をきいて燕?斉の地を攻略した。
    なお「史記」には「始皇帝は関中の地を金城千里の地と思った」とあり、「漢書」には「石城十仭、湯池百歩」、更に「後漢書」にも「金湯の険を失う」と出ており、古來、守りの固いことを稱する言葉として、しばしば使われている。大砲や飛行機(jī)のなかった時(shí)代の防備は、金城湯池でよかったのだろうが、いまはそうもゆくまい。