《小心翼々》という言葉は、?詩(shī)経?の中の、周朝の雅歌を収めた?大雅?という篇にある、?烝民?という詩(shī)から出たもので、この詩(shī)は、周の宣王が大夫の仲山甫に命じて斉に都城を城かせたとき、同じく周朝に仕えていた名臣尹吉甫が、その行を壯にするため賦して贈(zèng)ったものとされている。斉に都城を城かせたとか、尹吉甫が贈(zèng)ったとかいう言い伝えはともかく、この詩(shī)全篇は、宰相の高位についた経歴をもつ仲山甫の徳をたたえたものである。
司馬遷の?史記?によれば、宣王はその三十九年に、姜氏という異民族と千畝(山西省介休県)で戦って敗れ、南方から徴集した軍を失ってしまったので、太原(山西省)地方の民を戸毎に點(diǎn)検して、新たに兵を徴集しようとした。すると、仲山甫が、
「民は料うべからず?!?やたらに精査なさってはいけません。)
と諫めたが、王はきかなかった、という記事がみえている。これは宣王が晩年になって次第に暴君化した事実の、一つの例証として記されているものだが、それだけに、宣王に侍して公論を主張しつづけた仲山甫には、おのずから人望が集ったのであろう。?烝民?は、周朝の政を輔けしめんがために、天が仲山甫を生んだものとたたえ、その仲山甫の徳をこううたっている。
仲山甫の徳たる柔嘉にして則あり。
儀を令くし色を令くし、小心翼々たり。
古訓(xùn)これ式り、威儀これ力め、天子これ若い、明命を賦かしむ。
(仲山甫の床しさや、おおどかに折目あり。
挙措容止やすらけく、細(xì)心につつしみて。
古訓(xùn)にのっとりつ、威儀はいやつとめつつ、天子もしたがいつ、聖命を世にしきぬ。)
《小心翼々》というのは、従って、?細(xì)心に気を配って行いを慎む?という意だが、今日では転じて、小膽を形容する語(yǔ)として用いられている。
司馬遷の?史記?によれば、宣王はその三十九年に、姜氏という異民族と千畝(山西省介休県)で戦って敗れ、南方から徴集した軍を失ってしまったので、太原(山西省)地方の民を戸毎に點(diǎn)検して、新たに兵を徴集しようとした。すると、仲山甫が、
「民は料うべからず?!?やたらに精査なさってはいけません。)
と諫めたが、王はきかなかった、という記事がみえている。これは宣王が晩年になって次第に暴君化した事実の、一つの例証として記されているものだが、それだけに、宣王に侍して公論を主張しつづけた仲山甫には、おのずから人望が集ったのであろう。?烝民?は、周朝の政を輔けしめんがために、天が仲山甫を生んだものとたたえ、その仲山甫の徳をこううたっている。
仲山甫の徳たる柔嘉にして則あり。
儀を令くし色を令くし、小心翼々たり。
古訓(xùn)これ式り、威儀これ力め、天子これ若い、明命を賦かしむ。
(仲山甫の床しさや、おおどかに折目あり。
挙措容止やすらけく、細(xì)心につつしみて。
古訓(xùn)にのっとりつ、威儀はいやつとめつつ、天子もしたがいつ、聖命を世にしきぬ。)
《小心翼々》というのは、従って、?細(xì)心に気を配って行いを慎む?という意だが、今日では転じて、小膽を形容する語(yǔ)として用いられている。