日語閱讀:源氏物語(7)

字號(hào):

提高日語閱讀的途徑有很多,其中多讀日語小說和文章就是其中之一。以下為大家?guī)砣照Z小說閱讀:源氏物語第二部分。
    朝のお目ざめにもまた、夜明けも知らずに語り合った昔のご追憶がお心を占めて、寵姫(ちょうき)の在(あ)った日も亡(な)いあとも朝の政務(wù)はお怠りになることになる。お食欲もない。簡(jiǎn)単なご朝食はしるしだけおとりになるが、帝王のご朝餐(ちょうさん)として用意される大床子(しょうじ)のお料理などは召しあがらないものになっていた。それには殿上役人のお給仕がつくのであるが、それらの人はみなこの狀態(tài)を嘆(なげ)いていた。すべて側(cè)近する人は男女の別なしに困ったことであると嘆いた。よくよく深い前生のご縁で、その當(dāng)時(shí)は世の非難も後宮の恨みの聲もお耳にはとまらず、その人に関することでだけは正しい判斷を失っておしまいになり、また死んだあとではこうして悲しみに沈んでおいでになって政務(wù)も何もお顧みにならない。國(guó)家のためによろしくないことであるといって、支那の歴朝の例までも引き出していう人もあった。
    幾月かののちに第二の皇子が宮中へおはいりになった。ごくお小さいときですら、この世のものとはお見えにならぬご美貌のそなわった方であったが、今はまた、いっそう輝くほどのものに見えた。その翌年、立太子のことがあった。帝の思召しは第二の皇子にあったが、だれという後見の人がなく、また、だれもが肯定しないことであるのを悟っておいでになって、かえってその地位は若宮の前途を危険にするものであるとお思いになって、ご心中をだれにもお漏(もら)しにならなかった。東宮(とうぐう)におなりになったのは第一親王である。この結(jié)果を見て、あれほどの御愛子でもやはり太子にはおできにならないのだと世間もいい、弘徽殿の女御も安心した。そのときから宮の外祖母の未亡人は落膽して更衣のいる世界へ行くことのほかには希望もないといって一心にみ仏の來迎(らいごう)を求めて、とうとう亡くなった。帝はまた若宮が祖母を失われたことでお悲しみになった。これは皇子が六歳のときのことであるから、今度は母の更衣の死に會(huì)ったときとは違い、皇子は祖母の死を知ってお悲しみになった。今までしじゅうお世話を申していた宮とお?jiǎng)eれするのが悲しい、ということばかりを未亡人はいって死んだ。
    それから若宮は、もう宮中にばかりおいでになることになった。七歳の時(shí)に書初(ふみはじ)めの式がおこなわれて學(xué)問をお始めになったが、皇子の類のない聰明さに帝はお驚きになることが多かった。
    「もうこの子をだれも憎むことができないでしょう。母親のないという點(diǎn)だけでもかわいがっておやりなさい」
    と帝はおいいになって、弘徽殿へ晝間おいでになるときもいっしょにおつれになったりして、そのまま御簾(みす)の中にまでもお入れになった。どんな強(qiáng)さ一方の武士だっても仇敵(きゅうてき)だっても、この人を見ては笑(え)みが自然に湧くであろうと思われる美しい少童(しょうどう)でおありになったから、女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫君をお二人お生みしていたが、その方々よりも第二の皇子の方がおきれいであった。姫宮方もお隠れにならないで賢い遊び相手としてお扱いになった。學(xué)問はもとより、音楽の才も豊(ゆた)かであった。いえば不自然に聞えるほどの天才児であった。
    その時(shí)分に高麗(こうらい)人が來朝した中に、じょうずな人相見の者がまじっていた。帝はそれをお聞きになったが、宮中へお呼びになることは亭子院(ていじのいん)のお誡(いまし)めがあっておできにならず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁(うだいべん)の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館(こうろかん)へおやりになった。
    相人(そうにん)は不審そうに頭をたびたび傾けた。
    「國(guó)の親になって最上の位を得る人相であって、さてそれでよいかと拝見すると、そうなることはこの人の幸福な道でない。國(guó)家の柱石になって帝王の補(bǔ)佐をする人として見てもまた違うようです」 )
    といった。弁も漢學(xué)のよくできる官人であったから、筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。詩(shī)の贈(zèng)答もして高麗人はもう日本の旅が終ろうとする期(ご)に臨(のぞ)んで珍しい高貴の相をもつ人に會(huì)ったことは、いまさらにこの國(guó)を離れがたくすることであるというような意味の作をした。若宮も送別の意味をお作りになったが、その詩(shī)をひじょうにほめて種々(いろいろ)なその國(guó)の贈(zèng)物をしたりした。