日語(yǔ)翻譯賞析:三月語(yǔ)絮 恢復(fù)為先

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今日を境に、季節(jié)は別れから出會(huì)いに移る。割れ始めた木々の芽が百花新緑の日を予感させる3月の言葉から。
    以今天為界,季節(jié)將從告別寒冬轉(zhuǎn)入相遇春天。樹(shù)木開(kāi)始復(fù)蘇的嫩芽將揭開(kāi)百花盛開(kāi)新綠滿枝那一天的帷幕,我們從讓我們預(yù)感到這一切的3月里挑選了如下一些言論刊登于此,并與讀者共勉。
    宮城県南三陸町の戸倉(cāng)中學(xué)。津波で壊れた舊校舎で卒業(yè)式が開(kāi)かれた。答辭で小野寺翔(しょう)君は「今日という日は、もっと生きたかった人の今日でもある。亡くなった先生や後輩の分まで僕らは生きたい」
    宮城縣南三陸町戶倉(cāng)中學(xué)在被海嘯破壞了的舊校舍舉行了畢業(yè)典禮,小野寺翔同學(xué)在他的答謝致辭中說(shuō)到,“今天這個(gè)日子也是很多想活著的人的日子,我們要把已故去的老師以及學(xué)弟們的那一份也活好!”。
    終戦の年の3月10日、東京大空襲があった。東京大空襲?戦災(zāi)資料センター館長(zhǎng)で作家の早乙女勝元さん(80)が本紙聲欄に寄せた。「東北の春はまだまだ 遠(yuǎn)く、大空襲後の慘狀と重なる。3月10、11日は命の重みを考え、心に刻む日とすべきではないか」。忘れてはならない日だ。
    停戰(zhàn)之年的3月10日發(fā)生了東京大轟炸。東京大轟炸?戰(zhàn)爭(zhēng)災(zāi)難資料中心館長(zhǎng)作家早乙女勝元先生在給本報(bào)呼聲欄目的投稿中說(shuō),“東北的春天尚且遙遠(yuǎn), 這讓我聯(lián)想到了大轟炸之后的慘狀。3月10日、11日都讓我們體會(huì)到了生命的分量,不正是一個(gè)個(gè)應(yīng)該銘記于心的日子么?”,的確它們都是不容忘懷的日子。
    福岡の元高校教師、瀬口俊光さん(71)は「大ぼら先生」と慕われる。陸上部を率い、「日本一になれる」「世界をめざせる」とほめ、その気にさせて力を引 き出してきた。上梓(じょうし)した本で「子どもたちが大きな夢(mèng)も持てない背伸びもしない、ほら一つ吹けないでは、日本の未來(lái)は淋(さび)しい」
    福岡原高中教師瀨口俊光先生(71歲)被仰慕為“大話老師”。他曾率領(lǐng)著田徑部參加了各種比賽,并鼓勵(lì)學(xué)生說(shuō)“你們能夠成為日本第一”,“你們能夠 震驚世界”,讓他們?cè)谄床蛏系木窆奈柘虏粩噙M(jìn)取。他在出版的書(shū)中寫(xiě)道,“孩子們?nèi)绻荒軕汛б粋€(gè)夢(mèng)想,不能努力向上,不說(shuō)一句豪言壯語(yǔ),那么日本的未來(lái)就會(huì)黯然無(wú)光”
    春場(chǎng)所の前相撲でアフリカ大陸初の力士がデビューした。20歳のエジプト人のしこ名は大砂嵐(おおすなあらし)?!弗ⅴ楗证?、アフリカを背負(fù)う力士になりたい」の夢(mèng)がいい。
    在初春賽季的前期相撲賽中來(lái)自非洲大陸的力士首次登場(chǎng)亮相,他就是20歲的埃及人,四股名為大砂嵐,他的夢(mèng)想令人稱道,“想當(dāng)一名能夠承擔(dān)阿拉伯重任,承擔(dān)非洲重任的人!”
    この春中學(xué)生になる宮城県石巻市の奧田駿斗(はやと)君が言う。「コンサルタントって言うんだっけ。街づくりをする人のこと。最近、そういう仕事があると知って、今はそれになりたい。石巻を元に戻したいんだ」
    家住宮城縣石卷市,今年春天即將成為初中生的奧田駿斗同學(xué)說(shuō),“被稱作是市政顧問(wèn),就是那些搞市政規(guī)劃的人,最近才知道有這樣一項(xiàng)工作?,F(xiàn)在我就想成為一名從事這種工作的人,要把石卷恢復(fù)到原先的樣子”
    朝日俳壇に〈三月の瓦礫(がれき)の上に三月來(lái)(く)〉井上正和。元に戻すための道を、ともに歩みたい。
    朝日俳壇刊登了井上正和創(chuàng)作的一首俳句,<去歲三月大地震,瓦礫遍野已一年,今又三月來(lái)到此,何時(shí)舊貌換新顏?>,希望全國(guó)上下團(tuán)結(jié)一致,共同奔向復(fù)興的明天。