新編日語第四冊:第八課 教育2

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応用文
    福沢諭吉
     福沢諭吉は、一八三五年一月、大阪に生まれた。
     父の百助は、武士で、漢學(xué)にくわしく、りっぱな人物であった。しかし、身分が低かったために、小役人としてがまんしなければならなかった。
     諭吉は、兄ひとり、姉三人の末っ子として生まれた。父は丈夫そうな赤ん坊を見てたいへん喜んだ。そして、「この子は、大きくなったら、坊さんにしよう?!工妊预盲郡趣い?。
     當(dāng)時は、生まれながらにして、家業(yè)も身分も決まっていて、武士の子は武士に、農(nóng)民の子は農(nóng)民にと、その將來は定まっていた。武士ではあっても、百助のように身分の低い家柄に生まれると、一生下級の武士として終わらなければならなかった。ただ、寺の坊さんだけには、才能と勉強によって出世の道が開かれていた。父が諭吉を坊さんにしようと言ったのは、そのためである。
     しかし、その父は、諭吉が生まれて一年半ほどして、早くもなくなってしまった。母は、五人の子供をかかえて、郷里の中津にもどった。
     諭吉は、すくすくと成長して、大柄な少年になった。
     ある日のことである。兄が、畳の上にほご紙を広げて整理していた。諭吉がそこを通り過ぎるとき、足がちょっと紙に觸れたようであった。すると、兄は、大聲で諭吉を呼び止めた。
     「待て。おまえには、目がないのか。今、おまえが踏んだほご紙には、殿様のお名前が書いてあるのだぞ。」
     兄は、刀に手をかけんばかりのけんまくである。諭吉は、すぐに手をついて謝ったが、心の中では不満でたまらなかった。「殿様の頭を踏んだわけでもないのに。」と。
     また、こんなこともあった。下級の武士の家は貧しく、家來も置いていないので、酒や油などを買うのに、夜になってから、ほおかぶりをして、自分で出かけるというのが習(xí)わしであった。しかし、諭吉は、「自分の金で買い物をするのに、何か恥ずかしいものか?!工?、晝間、ほおかぶりもせず、堂々と買い物に行った。
     諭吉は、このように身分や體面ばかりを気にするような下級の武士の生活が、いやでたまらなかった。十九歳のとき、諭吉は、とうとう中津を飛び出して、長崎に向かった。當(dāng)時、日本はまだ國を閉ざしていて、長崎だけが、オランダ船のために開港されていた。長崎は、いわば、外國の事情を伝えるただ一つの窓だったわけである。
     諭吉は、長崎で、オランダ語を三年余り勉強すると、やがて江戸へ出た。江戸には、中津藩の屋敷があった。藩では、そこで、青年たちに、オランダの學(xué)問を?qū)Wばせようとした。諭吉は、その教師となって塾を開いた。
     ところが、せっかく學(xué)んだオランダ語を捨てて、英語を?qū)Wばなければならない時がやってきた。諭吉が塾を開いた翌年、江戸幕府は、それまでの方針を変えて、長崎のほかに、橫浜や函館などの港を開いて、外國船の出入りを許すことにした。諭吉は、時代の動きをそこに見た。世界の様子を知るためには、英語を勉強することが必要であると悟った。しかし、英語を教えてくれる人は、そうたやすくは見付からなかった。諭吉は決心をして、獨學(xué)を始めた。熱心に勉強して、諭吉の英語は次第に上達(dá)していった。
     その後、諭吉は視察団に従って、三回にわたって、アメリカやヨーロッパを視察した。これら三回にわたる海外視察で、諭吉は「日本は、すみやかに開國し、各國と交流する必要がある?!工取ⅳ悉盲曜砸櫎筏?。しかし、當(dāng)時、開國について意見が対立し、諭吉のような考えを持つ者は、西洋かぶれした人間と誤解され、暗殺の危険さえあった。
     諭吉は海外視察を終わって帰國すると、時の年號を取って、塾を「慶応義塾」と名付けた。そして、科學(xué)と獨立自尊の精神を教育の方針とした。
     まもなく、明治の新政府ができ、江戸を東京と名を改めて首都に定めた。そうして諭吉が考えていたように、日本は開國の方針を採った。
     諭吉は塾で講義するだけでなく、多くの本を書いた。自分の考えていることを、広く世の中に伝えようと思ったのである。一八七二年には「學(xué)問のすすめ」という本を出した。その書き出しは「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず?!工趣い?、有名な言葉で始められている。
     諭吉は、一九〇一年、六十六歳でなくなった。時代の先覚者として、また國民の教師として、今日でも、多くの人々から仰がれている。
    ファンクション用語
    ことづける
    學(xué)生:あのう、すみません、こちらに李先生いらっしゃいませんか。
    係 :今いらっしゃいませんけど。
    學(xué)生:あのう、じつは二時からの會議にわたしも出るように言われていたんですが、急に用事ができて、出られなくなりましたので、失禮するとお伝えいただきたいんですが。
    係?。氦悉?、會議に欠席するということですね。わかりました。お伝えします